歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(初演1868年バイエルン宮廷歌劇場)
◎作品の成り立ち
ワーグナーがこの作品を構想し始めたのは1846年「タンホイザー」初演後のことです。元来古代ギリシア劇を芸術の理想としていたワーグナーは、悲劇のあとには滑稽な劇(サテュロス劇)がつづくという古代ギリシアの慣例にしたがい、喜歌劇をつくることを決心します。
その際に出合ったのがゲルヴィヌスの「ドイツ文学史」で、その中に書かれてあった中世のニュルンベルクのマイスタージンガーたちの記録、特に詩人ハンス・ザックスの人間像やマイスター歌唱の細かな規則に興味をひかれます。
またワーグナーにはニュルンベルクに対する思い出がありました。それはまだマグデブルクの劇団の楽長をしていた頃、22歳のワーグナーはニュルンベルクに旅行しますが、そこの酒場で手工業の徒弟たちの殴り合いの喧嘩の場に遭遇します。
この情景はワーグナーの脳裏に刻み込まれ、上記ゲルヴィヌスの「ドイツ文学史」を読んだときに、この記憶が融合され、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を題材とした喜劇の構想を思い立ったのです。
しかし、その後ドレスデンでの革命、亡命生活、マチルデ・ヴェーゼンドンクとの出会いなど、ワーグナー自身の生活に大きな変化がおこり、それに伴って創作活動も「ニーベルングの指環」や「トリスタンとイゾルデ」の方に力を注ぐことになり、「マイスタージンガー」の構想はしばらく足踏みの状態が続きました。
しかし、史上例を見ない大作「ニーベルングの指環」を上演することは現実離れしすぎていたため途中で筆を止めたのに続き、1859年に完成した「トリスタンとイゾルデ」さえも要求される技術の高さなどが原因で一向に上演の見通しがつきませんでした。
そこでワーグナーはついに1861年「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の構想を本格的に開始します。ヴァーゲンザイルの「マイスタージンガーの優雅な芸術」やグリムの「古ドイツのマイスター歌唱について」を読み、専門的な知識も身につけます。
台本は30日間という短期間で書き上げられます。その後、革命運動の恩赦が出てドイツ入国を許可されたワーグナーはビーブリヒに居を構え、そこで作曲に没頭します。
それまでのワーグナーの作品は神話から題材を選んでいましたが、この作品では歴史上実在した人物や制度を非常に忠実に再現しました。実際この作品で耳にするマイスター旋律は、一部ワーグナー自作のものを除いては中世のマイスター達が作った音型をそのまま使用しています。また第三幕で歌われる合唱「目覚めよ、朝は近づいた」は実際にハンス・ザックスが作詞したものです。
作曲は出版社との契約にのっとって半強制的に進められていきましたが、経済的な窮乏をしのぐための演奏会の開催や「トリスタンとイゾルデ」上演実現の模索などで、しばらく停滞します。(※1)
その間、台本の朗読会は開催され、招待された音楽評論家のエドアルト・ハンスリックが怒って退席するという事件が起こっています。
ハンスリックとワーグナーはもとは親密な間柄で、ワーグナーを崇拝するハンスリックは「タンホイザー」を激賞し、またワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」の伝説に興味を持ったのもハンスリックの紹介がきっかけでした。
しかしやがてハンスリックは、音楽の美とは感情的ではなく形式的な美であり、感情的な美は演奏によってもたらされるもので、音楽自体の美とは違ったものであるという考えを持つようになります。
それとは逆に、ワーグナーは言葉と音楽が一体となった楽劇の考えを持ち、指揮者の役割を重視していたため、ワーグナーはハンスリックを軽蔑するようになります。
そして「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のなかに、ハンスリックをモデルにしたハンスリッヒという書記を登場させ、規則に拘泥したためみんなの笑いものになる役柄に設定したのです。
朗読会までにその名はベックメッサーと改められましたが、朗読を聞いていたハンスリックはすぐに自分のことを指していることがわかり、退席してしまったのです。
さて作曲の方は、その後バイエルン国王ルートヴィッヒ二世がワーグナーを招聘して、生活の面で全面支援することを約束するという、信じられないような奇跡がおこり、再び進められていきます。(「トリスタンとイゾルデ」の初演も行われました。)
しかし、ワーグナーは今後の自らの創作活動に対する報酬としてあまりに高額な金額を要求した上に、内閣の人事や国王の職務にまで干渉するようになっていったため、政府からはワーグナー追放の声があがり、国王もその声を無視することができず、それを承諾します。
こうして1年足らずで追放されてしまったワーグナーですが、ルートヴィッヒ二世とは頻繁に連絡をとりあい、生活の保障も引き続き行われていたため、作曲に集中することができ、ついに1867年に完成します。
この作品をピアノで弾いたリストは第三幕に最も魅了され、「このようなものはワーグナー以外の誰にも作れない。」と語ったそうです。そして驚嘆と恍惚のあまり、しばしば弾く手を止め、同じ場所をもう一度演奏したといいます。
また、初演に先立ちリンツに創設された合唱団のために、ワーグナーはこの作品のフィナーレの場面の譜面を送ってやりました。フィナーレの場面に関してはこの合唱団が世界初演したわけですが、その演奏を指揮したのがアントン・ブルックナーでした。(※2)
初演に際し、ワーグナーはこの作品にもりこまれているドイツ的精神の真の姿を民衆にみせるため、ミュンヘンにこの作品のための祝祭劇場をたてることを計画します。結局その計画は頓挫しましたが、リストやビューローの宣伝により初演の話題はヨーロッパ中に広がり、初演は「リエンツィ」以来の大成功を収めました。
しかしワーグナー自身は劇場側の妨害により演出が不十分だったため満足できず、ますます自己の作品のための劇場を建てる必要のあることを痛感します。
このワーグナーの願望は次作「ニーベルングの指環」のバイロイト上演で実現するのでした。
◎作品について
前作「トリスタンとイゾルデ」が半音階進行や不協和音を多用した革新的な作品だったのに対し、この作品ではハ長調の全音階進行を基本に作曲されています。
また、冒頭には伝統的なコラールが奏され、前奏曲や第二幕の「殴り合いの場」などはワーグナーが当時研究していたバッハの影響でフーガが取り入れられています。さらに前作では姿を消したアリア形式とレチタティーヴォ形式がこの作品では出てきます。
この作品が喜劇であるため、平明な表現のほうがふさわしいという点もあるとは思いますが、この作品はある程度伝統的な手法にのっとって作曲されたと言えるでしょう。
しかし、声部に関してはふんだんに半音階が使われているのです。また冒頭に流れる伝統的なコラールの間奏にも半音階進行の「情感の動機」が奏されています。
つまりこの作品は伝統的な手法を基本にしながら、新しいものを織り交ぜているという特徴を持っています。
台本についてはどうでしょうか。まず登場してくるのが騎士のワルターです。ワルターは代々受け継いできた城と領地を売り払い、自由都市ニュルンベルクにやってきます。そこには身分や階層についての伝統的な考え方を棄てて、自由を求めてやってきた青年の姿が描かれます。その青年がエヴァに対して恋心を抱き、彼女を得るためマイスタージンガーの試験を受けるわけですが、古くからの規則にこだわりをもっているマイスタージンガーたちにより失格とされてしまいます。
マイスタージンガーたちは自由都市ニュルンベルクにいながら、伝統的な規則にこだわりを持っており、自分たちの組合を一般民衆とは一線を画しているような古い考えの人たちです。彼らが階層差を気にせず自由な精神を持つワルターと相容れないのは当然のことでした。
マイスタージンガーたちの諸規則は長年の間保存されてきたものですが、既にその内容は形骸化し中身のないものになっています。その問題点を見抜いていたのがマイスタージンガーの一人ハンス・ザックスでワーグナーは彼を「芸術的創造的民族精神の最後の現われ」と評します。
ザックスは他のマイスタージンガーとは違って一般民衆に対しても開放的で、形骸化しているマイスタージンガーの規則は民衆によって生き生きとしたものになると考えています。
そしてみごと民衆参加の新しい歌合戦を実現し、同時にワルターにはマイスタージンガーたちが守ってきたドイツの芸術の偉大さを教え諭します。
つまり、台本においても、古いものと新しいものの融合が実現しており、マイスタージンガーの伝統を守りながらも、民衆と一体となった階層差のない新たな姿が提示されているのです。そして、これこそがワーグナーが理想とする社会であったのです。
革命に首謀者として参画するほどワーグナーは政治活動に力を入れました。ワーグナーは共和制を支持しながらも、文明から一線を画す最も純粋な共和主義者が王として君臨すべきだという、独特の考えを持っていました。
つまり従来の王制を維持しながらも、社会は共和制という新しい制度にするという考え方で、これはマイスタージンガーで示された理想社会とつながってきます。
こういったワーグナーの考えはワーグナー自身の多くの著書にも書かれていますが、次作「ニーベルングの指環」においてより壮大に、かつ警告的に示されます。
また「トリスタンとイゾルデ」では愛と結びついて表現されたショーペンハウアーの思想ですが、ここではハンス・ザックスによって体現されています。ザックスは若い娘エヴァを愛しますが、自分との年齢差を考えてその欲望を断って、若き騎士ワルターに譲り、二人が結ばれるよう手助けをします。
このザックスの諦念は、マチルデへの愛を断たなければならなかったワーグナーの思いでもあり、生への欲求の究極的否定を論じたショーペンハウアーの思想にもつながるのです。
「トリスタンとイゾルデ」では生死を超えた精神的なところで、過激なまでにワーグナーの理想やショーペンハウアーの思想が表現されましたが、この作品ではより身近に、あくまで現実社会の中で、ワーグナーが理想とする社会やショーペンハウアーの思想の活かし方を表現したものといえるでしょう。
最後にこの作品は第二次大戦中、ヒトラー率いるナチス・ドイツのプロパガンダのように扱われ、国家主義思想で固まった作品のように誤解された時期もありましたが、これまで書いてきたようにここで表現されている理想的社会はナチスとは全く異質なものです。
終幕のフィナーレで高らかにドイツ芸術の偉大さを歌い上げる点をナチスが悪用したわけですが、ワーグナーは、「ドイツ的とは何か」という論文のなかで、「美と高貴なるものとが、その物的利益のために利用されて世に現われてくるのではないところにドイツ精神がある。」と述べています。
またこの作品のフィナーレでも、合唱が歌い上げている内容は、例え国家が滅びようともドイツの芸術は残るという内容で、強力な独裁国家を作り上げたヒトラーの考えとは異なっています。
むしろワーグナーは産業化、文明化した社会を憂慮し、そういったものによらない健全なドイツ的精神を持つ社会の実現を希求したといえるでしょう。
(※1)「マイスタージンガー」の浄書にはブラームスも参加しました。しばしばブラームスは新古典派とされ、ワーグナーやリストの新ドイツ楽派と対立していたように思われていますが、ブラームスが非難したのはリストだけであって、ワーグナーに対しては賛美を惜しみませんでした。
(※2)ブルックナーはトリスタン初演前にワーグナーを訪問しており、トリスタンの初演公演にも立ち会っています。