舞台神聖祝祭劇「パルジファル」(初演1882年バイロイト祝祭劇場)

◎作品の成り立ち
 1.作品の構想
 この作品の題材となったのは13世紀にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハが書いた「パルツィファル」で、ワーグナーがこの作品を読んだのは1845年マリエンバートへ温泉療養に行った時の事でした。この療養中に「ローエングリン」の具体的な構想が出来上がり、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の題材にも出会います。

 つまりワーグナーがこの作品に出会ったときには、まだ「タンホイザー」までしか出来上がっていなかったのです。しかもその時点では「タンホイザー」はまだ初演されていません。

 その後、「パルツィファル」の構想については目立った進展はありませんが、ワーグナーの頭の中で構想は次第に熟成されていきます。1862年には友人たちに「パルツィファル」オペラ化のプランを話し、しかもこれが自分の生涯の最後の作品になるだろうと、早くも予期しています。

 この当時ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」の初演実現にむけて各地を奔走している最中で、その実現もなかなか難しい状況でした。そんな中での「パルツィファル」の構想に、指揮者のハンス・フォン・ビュローは「彼の計画は実現する見込みはほとんどないように見える現在だが、・・・。見ていて下さい。彼はきっと『パルジファル』を完成させますよ。」と友人に述べています。

 その予言は的中します。苦境に立っているワーグナーを援助すべく、バイエルン国王ルートヴィッヒ二世がワーグナーをミュンヘンに呼び寄せます。そこでワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演を実現し、また国王との確執などがありながらも1876年バイロイトにて「ニーベルングの指環」上演にこぎつけます。

 ルートヴィッヒ二世は、ワーグナーを招聘した翌年の1865年には、「パルツィファル」の創作へ強い期待を示しており、それに伴ってワーグナーの構想も具体化していきます。そしていよいよバイロイトの「ニーベルングの指環」上演の後から、ワーグナーはこの作品の台本および作曲にとりかかります。

 ワーグナーをこの作品に駆り立てのは、ワーグナー音楽に心酔する女性ジュディット・ゴーティエとの関係でした。彼女は独特の官能性を持っており、彼女をモデルにしてクンドリ像はできあがります。

 この間、「パルツィファル」はある古典学者の説にしたがって、表記を「パルジファル」に改め(※1)、またこの作品を「舞台神聖祝典劇」として、資本主義社会と同様に堕落してしまったキリスト教を見つめなおす、宗教的芸術作品として特別な意味合いを持たせようとします。

 こうして台本は完成し、ワーグナーは1880年にバイロイトで「パルジファル」を上演することを公表します。

 しかしこの計画には大きな障害が立ちはだかっていました。前回のバイロイトでの「ニーベルングの指環」上演で生じた莫大な借金です。

 ここで妻コジマは、ルートヴィッヒ二世に懇願して、バイエルン宮廷歌劇場で上演されるワーグナー作品の総収入の10%を印税として受取る約束を取り付けます。そればかりでなく、「パルジファル」上演の際の出演者を国王から無料で貸与してもらうことにも成功しました。

 しかしここまでしてもワーグナーは不満でした。というのは国王が交換条件として、「パルジファル」初演後は上演権をバイエルン宮廷歌劇場が持ち、それを無制限に上演できることを要求したからです。

 ワーグナーの理想は、この宗教的作品をバイロイトのみで上演される門外不出の秘曲として、金持たちの娯楽としてのオペラとは一線を画することでした。

 そこでワーグナーは、借金のためにこのようなことになるなら、アメリカへ行って財産をつくると言って、国王に揺さぶりをかけます。果たして国王はワーグナーのアメリカ行きを反対し、「パルジファル」はバイロイト以外では上演しないことを約束したのです。

 その間にもワーグナーは作曲と同時に、舞台構想も進めていきます。その構想に大きな役割を果たしたのが1880年のイタリアへの保養旅行でした。

 ワーグナーは、ナポリのアルハンブラ風の宮殿に咲き乱れる美しい庭園から、第二幕のクリングゾールの魔の花園を構想し、シエナの大寺院では独特な美しさに感動の涙を流し、聖杯城を構想したのです。

 作曲の方も大部分が完成し、この旅行からの帰途には、ルートヴィッヒ二世の御前で第一幕の前奏曲を演奏しています。これがルートヴィッヒ二世との最後の対面となってしまいました。

 バイロイトに戻ったワーグナーは、総譜作成に真剣に取組みます。作曲家のエンゲルベルト・フンパーディングもバイロイトに引っ越してきて、その作業に協力します。

 最後に残った問題は「パルジファル」初演の指揮を誰に託すかということでした。国王側からはバイエルン宮廷歌劇場の楽長へルマン・レヴィに指揮させる意向が伝えられます。ワーグナーもこの指揮者の能力については高く評価してたのですが、この指揮者を起用するということに対しては素直に賛成することができませんでした。なぜならレヴィはユダヤ人だったからです。

 当時ドイツではインフレ経済に苦しみ、世間の矛先は経済上の支配力を握るユダヤ人達に向けられていました。そのため各地で反ユダヤ運動が盛んに行われます。

 ワーグナーはこういった運動には参加することを拒否し、彼らとは一線を画していました。しかし、元来ワーグナーも今日の文化の退廃は、金策に奔走するユダヤ人たちに一因があるとして、彼らを蔑視していました。

 このためキリスト教を見つめなおすべき「舞台神聖祝典劇」の「パルジファル」をユダヤ人に指揮させるというのは抵抗があったのです。

 しかし、国王から無償で出演者を提供してもらっている立場上、そのような理由でこの指揮者を拒むことはできず、レヴィが初演を指揮することを承諾します。そのうえでワーグナーはレヴィにユダヤ教から改宗することを勧めますが、結局その要求はレヴィに拒絶され、ワーグナーも断念します。

 1882年、ついに「パルジファル」は完成します。この作品に対しては楽譜出版社から10万マルクという莫大な金額が支払われ、財政的な問題も解決します。

 そこでワーグナーはバイロイトに奨学基金を創設し、資力のない人をバイロイトの上演に無料で招待することにします。当初バイロイトの祝祭劇が理想とした、入場無料の上演がこうして部分的ながら実現したのです。

 2.初演と評価
 7月26日の初演にはリスト、ブルックナー、サン=サーンスといったワーグナーと交流のあった作曲家のほか、若きR.シュトラウスやマーラー、後の大指揮者ワインガルトナーも出席しています。

 この上演に接したリストは「とても彼の耳を信じることはできない。」とその多彩で変幻自在な音色に驚嘆し、マーラーはその時の体験を「私は、一言も発することが出来ぬほど感動して祭典劇場を出た。」と述べています。

 また普段は辛口な批評家にも好評で、ワーグナーと犬猿の仲として有名なハンスリックでさえ、その圧倒的な印象に終演後は沈黙しがちであったといいます。ライプツィヒの劇場監督フェルスターにいたっては、「見ていてください。ワーグナーは死にますよ。このようなものを作り出した人間はもう長くは生きられないのです。」と、異空間に誘うよなこの作品がワーグナーの辞世の作品となることを直感します。

 実際この公演は大成功で、特に第一幕の聖杯城への場面転換はあまりにも効果的で、観客の中にはめまいを感じる人もいました。以後この場面の舞台装置はヴィーラント・ワーグナーによる1951年の新演出上演で撤廃するまで、バイロイトの見せ場となっていきます。

 また第二幕についてはワインガルトナーは「花の乙女達の衣装は全く理解できぬほどに悪趣味である。しかし彼女たちの歌唱は誉めるに言葉もないほどだ。」と記しています。ワーグナーも花の乙女達の歌唱には大満足で、毎回この場面になると上演中でも「ブラーヴォ!」と叫ぶので、観客から止められるほどでした。(※2)

 最終上演では第三幕の場面転換のところからレヴィに代わってワーグナー自身が指揮し、レヴィよりもずっとテンポの遅い演奏で関係者たちを感激させます。

 この公演の大成功は前回の「ニーベルングの指環」上演とは対照的に、大黒字となり、今後もここで定期的に音楽祭を続けることが出来るめどがたちました。ワーグナーは今後はここで「さまよえるオランダ人」以降の全作品を上演したい希望をルートヴィッヒ二世への手紙に書いています。

 しかし同時にワーグナーは自身の死期が近いことを予期していたのか、「パルジファル」について「欺瞞に満ちた現世からの逃亡が生んだ作品」であり、「世界からの別れの作品」であるとしています。

 そして1883年2月13日、ワーグナーは持病の心臓病による心臓発作でこの世を去ります。

 しかし、ワーグナーの意志は妻コジマと弟子たちに受け継がれ、「パルジファル」は1903年にアメリカのメトロポリタン歌劇場で上演されるまでの20年間バイロイトでしか聴けない門外不出の曲としてその独特の地位を保ち、今日に至るまでその儀式的な側面は失われていません。(例外的に1884年の一度だけ、初演に来なかったルートヴィッヒ二世のために私的公演がミュンヘンで行われています。)

◎作品について
 この作品は構想から40年近い年月を経て完成しました。そういう意味では「ニーベルングの指環」と同じように、この作品はワーグナーの人生の集大成といえるものです。

 この作品でパルジファルは初めて聖杯の儀式に参加した時、その宗教的雰囲気に痙攣し硬直してしまいますが、ワーグナーも幼いときに何も知らずに連れて行かれた聖餐式で、異常な恐怖感におそわれたことと重なります。

 そして母が悲しむのも知らずに出奔したパルジファルが、第二幕ではじめて母の苦しみを理解し、母を一人寂しく死なせてしまったことを後悔するという場面は、若かりし頃に各地の劇場を流浪して不安定な生活を送ったワーグナーの母に対する思いを代弁しているといえます。

 さらに第二幕のクリングゾールの魔法の園は、文明に犯された社会や虚飾に彩られているとして嫌ったパリのオペラ座に通じます。

 その後パルジファルは、クンドリによる官能的な接吻から、官能を拒むことができなかったアンフォルタス王の苦しみを理解するようになり、真実の愛は官能とは別のところにあることを悟ります。そしてクンドリの誘惑も退けたパルジファルは、彼女にも真実の愛を説き、彼女にも救済を与えます。この一連の流れはワーグナーが様々な体験を経て到達した思想的な深まりと重ね合わせることができるでしょう。

 このワーグナーが到達した思想的な深まりは、この作品によって前作までよりさらに進んだものになっています。

 ワーグナーはこれまでも現代の文明や資本主義社会は、人間のあるべき姿を破壊していると批判し、その考えを作品のなかで描いてきました。それと同時に、この作品ではキリスト教についても批判の目を向けています。(「タンホイザー」にもキリスト教の批判のメーッセージは込められています。この作品ではそれをさらに前面に押し出しました。)
 
 つまりキリスト教は素朴な信仰を失い、典礼や装飾など様々な付随的要素が加わったうえに、国家などの政治機構に組み入れられ本来の機能を麻痺させているとしたのです。

 実際この作品に描かれている聖杯王アンフォルタスは、本来は救済をもたらすべき聖杯式によって永遠の苦しみを味わっており、それにもかかわらず聖杯騎士たちは聖杯式執行をアンフォルタスに迫るという、ねじれた関係になっているのです。

 そして礼拝に真の機能を取り戻させるのが、現代のシステムに犯されていないパルジファルなのです。この作品の幕切れの台詞「救世主に救済を!」はキリスト教の形骸化を嘆くワーグナーの叫びでもあるといえるでしょう。

 そのうえでワーグナーは芸術は宗教と同格であるべきだという自論を持ち、教会が本来の姿を失った今は芸術がその役割を代行せねばならないと考えていました。

 この作品に「舞台神聖祝典劇」という名前を付け、パリをはじめとしたオペラ座で上演される、娯楽としてのオペラとは一線を画そうとしたのもこういった考えに基づくものであったのです。

 そしてこれまでの作品でも一貫して表現されてきた「愛」というテーマについても、新たな境地を切り開いています。

 これまでの作品においてワーグナーは、精神的な合一による愛が真実の愛であると表現してきましたが、それはあくまで男女間のものに限られていました。

 しかしこの作品では一歩踏み込んで、その愛は女性のクンドリだけでなく、男性のアンフォルタス王やさらには野原に咲いている草花にまで広げられます。
 
 それは第三幕に顕著に表現されています。

 そこではクンドリの涙が、草花にとっては恵みの露になると歌われ、第一幕では聖杯城に導かれなかった女性のクンドリも、第三幕では導かれます。

 さらに先程も書いたように、パルジファルはクンドリからの接吻を受けたことにより、官能に身を焦がす罪を犯したアンフォルタス王の追体験をすることができ、その苦しみを理解して彼を救済します。

 ワーグナーは「共苦」「同情」といったことこそあらゆる道徳の源泉であり、時代とともにその精神は失われ、救済の能力が失われたと述べていますが、この作品ではパルジファルのアンフォルタスに対する「共苦」「同情」が彼を救済へと導いているのです。

 このようにこの作品には、これまでの作品のような自己犠牲的な愛はありません。男女間や人間と自然といった隔てを取り払った、全てのものを包み込むような愛が、ワーグナーが最後に到達した真実の愛の姿なのです。

 音楽面においては、この作品はバイロイトの音響を考えて作った唯一の作品ということもあり、劇場の特徴を良く生かした音作りをしています。

 バイロイト祝祭劇場はオーケストラピットが蓋に覆われていることから、観客席に届くまでに音がブレンドされてまろやかな響きを作り出すのですが、それにあわせてワーグナーは渾然とした音色を最大限に生かして作曲しています。第一幕前奏曲の冒頭の泉が湧き出るような感覚を抱かせる旋律は、この作品ならではのものでしょう。

 またこの作品は聖杯城という異次元の空間が登場しますが、その際の第一幕半ばの場面転換の音楽は、悠揚とした旋律と鳴り響く鐘の音とともに不思議な感覚を抱かせ、音楽だけで時空の移動を体感することができます。

 その先に登場する聖杯城とそこで行われる儀式への移行までの曲進行も見事です。このように第一幕の後半は絶対に一般のオペラでは見られない神秘的なもので、この作品の性格が最も強く出た場面です。そのため第一幕終了後には拍手をしないという独特の慣習があります。(※3)

 これ以外にも第一幕におけるグルネマンツの語りや第二幕のパルジファルの悟り以降の切実な表現と、その後の奇蹟的な出来事の描写、第三幕の聖金曜日の音楽など、全編が色彩豊かな清々しさと深みをもっています。

 このようにこの作品はどの部分を切り取ってもワーグナーの最高傑作といえるものです。その音楽は幕開けからフィナーレに向かってどんどん高みに昇りつめていき、転調を重ねる無限旋律は、これまで以上に自然で劇と一体となっていて舞台上の奇蹟の表現をあますことなく表現しています。

 ワーグナー最後の作品は、その名に恥じないまさに「辞世の作品」といえるでしょう。


(※1)「パルツィファル」の名前の由来はペルシア語の”fal parsi”(愚かなる清き者)からきているという説にしたがって、”Palzifal”の”z”を”s”に改めて”Palsifal”「パルジファル」としたのです。しかしこれは誤った説であることが分かったのですが、ワーグナーはあまりこだわらずにそのままにして置いたようです。

(※2)この「ブラーヴォ!」は、花の乙女のなかにワーグナーが惚れ込んだキャリー・プリングルという歌手がいて、彼女に向けてのものでもありました。

(※3)この慣例の始まりは、初演時にワーグナーが第二幕が終わったところで舞台に進み出て、印象を壊さないために幕間のカーテンコールはしないことを観客に告げたところから由来しています。これを聞いた観客は、最終幕が下りた後も拍手をしなかったので、慌てたワーグナーが再度説明し、ようやく拍手が沸き起こったといいます。
 このことが誤解され、その後長い間、全幕通して拍手なしという慣例が続いてましたが、最近は宗教性の強い第一幕のみ拍手なしということになってきています。
 

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ワーグナーって?ワーグナーの聴き方