歌劇「タンホイザー」(又はヴァルトブルクの歌合戦)(初演1845年ザクセン宮廷歌劇場)

◎作品の成り立ち
 タンホイザー伝説はワーグナーが14歳のころに叔父のアドルフ・ワーグナーの家で読んだことで興味を持ち始めたように、ワーグナーにとっては馴染みのあるものでした。

 この伝説は14世紀頃から広まっていったものですが、19世紀に入りベヒシュタインの「タンホイザーの歌」(1835年)やハイネの「タンホイザー」(1836年)などがドイツで広く読まれ、ワーグナーもこの影響をうけたものと思われます。この伝説ではヴェーヌスの山の存在やタンホイザーがそこへ踏み入ったためローマ法皇の許しを得られなかったことが書かれています。

 さらにワーグナーは1839年から3年間のパリ滞在中に、友人のレールスから「ヴェーヌスベルク」や「ヴァルトブルクの歌合戦」がのっている民話集をもらい、1207年に実際にあったとされるヴァルトブルクの歌合戦と、そこで敗れて死を命ぜられた歌人ハインリッヒを領主の娘が命乞いをするという結末を知ります。(レールスは「ローエングリン」についてもワーグナーに話しています。)

 しかし、このパリ滞在はワーグナーをひどく失望させます。パリの劇場運営は上演を成功させるために、観客の中にサクラを紛れ込ませたりしており、歌手たちも彼らを味方に付けようと賄賂が横行していました。また、自信を持って提出したワーグナーの作品は全くと言っていいほど取り上げられず、借金が積み重なるばかりでした。こうした状況のなかで、ワーグナーは豪華絢爛さばかりを競うパリの劇場を嫌悪するようになり、ドレスデンに帰ることを決心します。

 この滞在で抱いたパリに対する印象をワーグナーは終生拭い去ることはできず、その後ことあるごとに、パリは焼き尽くされるがいいと発言しています。

 悲惨なパリ生活に終止符を打ちドレスデンに帰ったワーグナーは、家族を連れたって旅行に出かけますがそこで目にした情景はワーグナーに「タンホイザー」伝説を基にした歌劇を書かせるきっかけとなりました。城の情景、羊飼いの楽しげな笛、巡礼者の行列などは作品の情景に取り入れられ、この旅行中にワーグナーは「タンホイザー」の草案を書き上げます。

 ドレスデンに戻ったワーグナーは「リエンツィ」の大成功をきっかけとして、ザクセン宮廷歌劇場の楽長にも就任し安定した生活を得るようになります。その関係で歌劇「タンホイザー」は全曲完成後、この劇場にて取り上げられることになりました。

 初演は舞台装置が間に合わず不評に終わりましたが、舞台装置が整ってからは成功を収めました。前作の「さまよえるオランダ人」で批判的だったシューマンも「この作品は深いもの、独特のものを持ち、彼のこれまでの諸歌劇より百倍もすぐれている。」と大絶賛でした。

 しかし当時の一般の観客は歌劇に美しい旋律を求めていたため、内容重視のこの作品に熱狂することはありませんでした。この現状にワーグナーは「私はなによりもまず演技者を要求する。それに次いで演技者の援助をする歌手を要求する。そして私と同じことを要求するような観客を要求するのだ。」と述べ、自分の作品を理解する観客の必要性を感じます。このような考えは、後の革命運動の参加やバイロイト祝祭劇場の建設へのきっかけとなったと言えるでしょう。

 一方でこの初演版はフィナーレでヴェーヌスは登場せず、エリーザベトの自己犠牲も語られるだけで分かりづらいという面もありました。2年後にその場面は改訂されヴェーヌスが登場し、エリーザベトの棺も運び込まれるかたちになり、劇的な緊張感が加わりました。これが現在ドレスデン版と言われているものです。この版による演奏は1849年にフランツ・リストが指揮したワイマールでの演奏が決定的な評価を得、今日でもよく使用されている版です。

 1848年に革命運動の主謀者として指名手配されたワーグナーはスイスへと逃亡します。ここで「トリスタンとイゾルデ」を完成させたワーグナーは再度パリへ乗り込みます。悲惨だった前回と違い、今回はメッテルニヒ侯爵夫人の尽力もあり「タンホイザー」がナポレオン3世のお墨付きで上演されることになりました。

 当時のパリのグランド・オペラのスタイルでは作品のなかにバレエが入っていて、それは二幕に演じられるものとされていました。バレエの踊り子を見るだけの目的で、夕方食事をして途中から観劇するという観客も多かったのです。

 成功に燃えるワーグナーはこの習慣に沿って1幕のヴェーヌスベルクの場面を大幅に改定し、幕開けにバッカナールを挿入してバレエを取り入れましたが、2幕にバレエ曲を挿入するようにとのオペラ座からの要請は劇の展開上の理由で拒否しました。しかしやはりこのことが原因で観客からの非難・妨害は非常に激しく、公演は大失敗に終わります。この後パリでは「タンホイザー」は26年間取り上げられず、1887年の上演以降ようやく広まっていきました。

 ワーグナー自身は「トリスタンとイゾルデ」を完成させ表現の幅を一層身につけた時点で、パリ上演のようなかたちでヴェーヌスベルクをより印象的に描き出すことは、この作品の本質をより浮き彫りするうえで不可欠なことだと考えていました。その後1875年のウィーン上演ではこの改訂をさらにおしすすめ、序曲の最後をカットしてそのまま1幕のバッカナールへと流れ込むようにしました。これが現在パリ版と言われているものです。バイロイト音楽祭でもワーグナーの遺志によりパリ版を原則的に採用するようになっています。

◎作品について
  上記のようにワーグナーはこの作品に対し異例なほどの多さで改訂を重ねています。1845の初演から1875年のパリ版の上演までに30回以上も改変を施しているのです。なぜワーグナーはこれほどまで「タンホイザー」にこだわったのでしょうか。

 この作品においてワーグナーは伝統的な番号オペラと決別します。その結果、音楽は常に次への展開へとむかって発展していく傾向を生み出すことになり、これは無限旋律の始まりといえるものです。

 この手法は特に場面転換の際に効果を発揮し、特に第一幕のヴェーヌスベルクからヴァルトブルクへの転換は見事で、フルトヴェングラーも転換直後のワルトブルクの情景描写ほど美しいものはないと絶賛しています。

 また「さまよえるオランダ人」で見せたライトモチーフの手法をこの作品でも使っていますが、とくに第3幕でタンホイザーが自らのローマへの巡礼を描写する「ローマ語り」ではライトモチーフが次々と登場してめまぐるしい展開をみせ、聴き手がその場に居合わせているかのような迫真性をともなっています。このことはワーグナーがライトモチーフの使用に関して新境地を開拓したことを示し、次作「ローエングリン」での「聖杯語り」へとつながっていきます。また第2幕から第3幕との間には長い時の推移があるので、第3幕の前奏曲ではその間あったできごとをオーケストラによって語らせます。ここでもライトモチーフは効果的に使われ、この前奏曲は後の「パルジファル」第3幕の前奏曲に発展していきます。

 このような技法的な発展を通してワーグナーはこの作品に前作以上に多面的な内容を盛り込みました。それは「ヴェーヌスベルク」における官能的な愛と「ヴァルトブルク」という現実世界における愛の対立です。この作品では最後は「ヴェーヌスベルク」は崩壊しますが、かといって現実世界の愛が勝利したというわけではありません。エリーザベトは官能的な愛を享受したタンホイザーに理解を示し、現実世界でそれが受け入れられないことを知り、自ら命を絶ったのです。
そしてそのことによりタンホイザーの魂は救済されるのです。

 つまりここでは真実の愛というものはどこにも見出せずさまよっているのであり、それは死によってはじめて見出されるものであることを暗示しています。この考えは「トリスタンとイゾルデ」においてより明確にされるわけですが、「タンホイザー」はそのさきがけであるといえるでしょう。

 またこのような考えは愛についてだけにとどまらず、当時の社会に対するものでもありました。ワーグナーは当時のキリスト教(カトリック)の教条主義、社会の形式主義に絶望感を抱いており、人間的な自由な精神による社会を理想としていました。この作品では現実社会「ヴァルトブルク」のアンチテーゼとして「ヴェーヌスベルク」を設定し、そのことで現実社会「ヴァルトブルク」に対し疑問を投げかけています。初演後の度重なる改訂のほとんどがヴェーヌスベルクの場面であったことは、それだけワーグナーは現実社会に対し批判的な目をもっていたことがわかります。こういったことは後の「ニーベルングの指環」や「パルジファル」においても描かれていきます。

 このように「タンホイザー」は後の作品の主題となるエッセンスのほとんど全てを網羅しているような作品で、ワーグナー自身も「タンホイザー」は演劇としては完璧な作品であると言っています。それゆえに音楽面で何とかしたいという気が強かったのでしょう。死の直前までワーグナーは「タンホイザーを何とかしないうちは死ねない。」と語っていますし、第2回のバイロイト音楽祭ではまず「タンホイザー」を上演することを希望し、「タンホイザー」さえ上演できれば「トリスタン」を上演するよりも満足だとも言っています。

 なおこの作品では依然として第二幕の「殿堂の歌」、第3幕の「夕星の歌」のように伝統的なアリアの形式のような場面もあります。その意味でこの作品はいまだ伝統から脱し切れていないとも言えます。しかしそういった伝統的形式はワルトブルクの場面にて用いられ、逆にヴェーヌスベルクにおいては斬新な手法がとられたことを考えると、ワーグナーは2つの世界を対立させるためにあえて伝統的な形式を使ったのだとも考えられています。

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