楽劇「トリスタンとイゾルデ」(初演1865年バイエルン宮廷歌劇場)
◎作品の成り立ち
「トリスタンとイゾルデ」の物語は10世紀頃にケルト地方にて生まれ、12世紀中頃にヨーロッパに広まりました。ワーグナーはドレスデン時代の1846年に、当時の新作「タンホイザー」を見にきたエドアルト・ハンスリックから中世詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク作の「トリスタンとイゾルデ」のことを聞き、この物語に対する興味を持ちます。
その後ワーグナーは革命の首謀者としてドイツ全土に指名手配され、スイスのチューリヒに生活の拠点を移します。革命運動の影響もありワーグナーは社会と芸術との関係に対する考えを深め、フォイエルバッハやプルードンなどの影響のもと「芸術と革命」「未来の芸術作品」などの論文を書き、「ニーベルングの指環」の構想もこの時代になされます。
このようにこの時期のワーグナーは自己の作品に対する思索を深めていった時期であり、作品はしばらく発表されませんでしたが非常に実り多い時代であったといえるでしょう。
詩人ゲオルク・ヘルヴェークから、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読むように勧められたのもその時代で、ワーグナーはこの著作から多大な影響を受けます。湧き上がる生命への欲望に対してショーペンハウアーの「主要思想たる”生命の究極の否定”は恐るべき厳粛なもので、唯一の救済であります。」とリスト宛ての手紙に書かれてあります。ワーグナーはこの本4回も読み直しました。
元来、当時の文明社会のシステムに不満を持っていたワーグナーにとってこのような厭世的な考えは非常に共感できるものであったでしょう。
そんな中、ワーグナーは友人のカール・リッターから「トリスタンとイゾルデ」のオペラ化の話しを持ちかけられます。このトリスタン劇は当初はシューマンのために計画されていたものでしたが、シューマンは作曲せずに実現していませんでした。すでに「トリスタンとイゾルデ」の物語については興味を持っていたワーグナーは、これにロマン派文学のフリードリヒ・フォン・シュレーゲルの「ルツィンデ」における愛と死の関係を加味して、台本の構想を完成させます。
当初この作品は大作「ニーベルングの指環」とは正反対の短いものとして考えられていたため、ブラジル領事からの依頼によりブラジル皇帝に捧げるイタリアオペラとする計画もありましたが、作品は作曲が進むにつれてその計画では収まりきれない大作へと発展していきます。
その背景となったのが、マチルデ・ヴェーゼンドンクへの愛情でした。亡命中のワーグナーはチューリヒにて多くの友人の支援で生活していきますが、そのなかでも特に熱心に援助したのはオットー・ヴェーゼンドンクでした。マチルデはその妻にあたります。オットーはワーグナーのために自分の邸のとなりに住居を提供します。この家はマチルデにより「平和と友情のかくれ家」と命名されます。
ワーグナーは教養があり女性らしいマチルデに次第に惹かれていきます。マチルデが書いた詩にワーグナーが曲をつけてできたのが有名な「ヴェーゼンドンク5つの歌」で、これは「トリスタンとイゾルデ」にも旋律が引用されています。
自分の支援者の妻を愛するという、ワーグナーの道ならぬ恋は、やがてオットーやワーグナーの妻ミンナに発覚し、ワーグナーは「かくれ家」を去ることを決心し、ヴェネツィアそしてルツェルンへと移住します。
マチルデと離れることになったワーグナーにとって、現実に根ざしていた愛は社会の規範により遠ざけられ、いまや非現実の世界に浮き上がってしまったのです。ワーグナーが愛しているのは幻想の中のマチルデということになっていきます。
そのようなマチルデへの愛を、ワーグナーはショーペンハウアーの厭世観と巧みに結びつけます。お互いが究極に愛し一体となるには、社会の体系といったしがらみから抜け出さなければならない。しかし現代の社会ではそのようなことは不可能で、それを成し遂げるには死ななければならないとします。
すでに台本はマチルデのもとを去る前に出来上がっており、朗読会ではマチルデが感動のあまり血の気を失う程でしたが、マチルデと別れたあと完成した曲のほうはワーグナー自身の想像をも超えるすさまじいものとなりました。
ワーグナーは第一幕の作曲が終わった時点で「これは驚くべき作品になる。」と予見し、第二幕が出来上がると「私の今までの芸術の最高峰」となることを感じ、第三幕の途中で自ら「リヒャルト、おまえは悪魔の申し子だ!」と叫んだといいます。
ワーグナーは作曲中マチルデに「私がトリスタンを書いたことに対し、私はあなたに心の底から永久に感謝を捧げます。」と手紙を書いていましたが、その後宛てた手紙には「この『トリスタン』は恐ろしいものになる。この最後の幕!・・・・・・・もし悪い上演が全体をパロディー化するのでなければ、このオペラは禁止されるのではないか。ただ凡庸な上演だけが私を救ってくれるだろう。完全によい上演だと、人を気違いにしてしまう。」と自らも受けた衝撃について述べています。
ワーグナーから送られてきた「トリスタンとイゾルデ」の総譜を見て、ベルリオーズは叫び声をあげ、音楽的に大胆すぎると判断した箇所には印がつけられ今現在も残っています。また、初演で主役を演じたシュノル・フォン・カルロスフェルト夫妻も当初はこんなものを歌ったら声をつぶしてしまうと反対します。
完成当初ワーグナーは友人のエドアルト・デフーリントが劇場監督をつとめるカールスルーエでの初演を目指しますが、歌手の人材確保の点で問題があり実現できず、それならばと当時最も優れた歌手を擁していたウィーン宮廷歌劇場での初演を依頼しますがトリスタン役のアロイス・アンダーが病気になり、さらに劇場運営の問題が重なりこれも実現しませんでした。
こうして完成後6年間は日の目を見ることがなかった「トリスタンとイゾルデ」の上演ですが、ここで奇跡がおこります。なんとバイエルン国王ルートヴィッヒ二世がワーグナーをミュンヘンに招聘し、ワーグナーを全面支援することを決定したのです。
ルートヴィッヒ二世は15歳の時に「ローエングリン」を観て以来、国王にとってワーグナーは憧れの存在となり、国王就任後真っ先に命じたのがワーグナーの招聘だったのです。
ルートヴィッヒ二世は「トリスタンとイゾルデ」の初演をバイエルン宮廷歌劇場で行うことを約束し、ワーグナーの説得により主役はシュノル・フォン・カルロスフェルト夫妻と決定します。トリスタン役のシュノルは太りすぎていた点を補って余りある力量の持ち主で、ワーグナーの考えを正確に表現し、第三幕の練習中ワーグナーはシュノルの歌唱にたいする感動のあまり動くことができず、「私はほめることさえできない。この作品の理想的な姿が目の前にあるから。」と述べたといいます。
1865年6月10日ついに初演の幕は無事上がり、この作品に多くの人が戸惑いを受けながらもある程度の成功を収めます。第三回目の公演には若きブルックナーも出席し「感激のため我を忘れるほどであった」と記されています。
この作品の革新性と、要求される技術の高さは、演者に多くの負担と緊張をもたらし、テーマさながらに死にまつわる話が多いのも特徴です。ウィーン初演を目指していたときにトリスタンを演じる予定だったアロイス・アンダーは声の障害とノイローゼで初演を待たずに亡くなり、初演時にトリスタンを演じたシュノルも初演直後に心臓麻痺で急死しました。その後も指環初演の際にワーグナーの助手をつとめたフェリックス・モットルもこの作品を指揮中に急死し、名指揮者ヨゼフ・カイルベルトも第二幕の愛の二重唱を指揮中に心臓発作で亡くなっています。
◎作品について
「ローエングリン」の完成から10年以上経過して、その間数々の著作や「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」第二幕までを作曲した後に完成したこの作品は当然のことながらより熟練された技法で書かれています。
まず台本についてですが、二人の間に愛は始めから存在しつつも、社会の秩序やモラルといったものに縛られています。しかし愛の媚薬を飲む行為によってその愛はモラルを超えたものになり、その時から二人は真の愛を模索するようになります。その結果が体系化した現社会からの消滅、死の世界での真の一体化した愛への旅立ちだったわけです。
このように台本のなかには、現社会の批判、死ぬことによる救済が含まれており、ワーグナーの革命思想とショーペンハウアーの厭世感が「愛」というテーマと見事に融合していると言えるでしょう。
作曲の方もここではついにアリア的なものは完全に取り払われ、旋律の区切れで終止感のある和音を使わず、前の部分の気分を残したり、次の部分を先取りしながら、徐々に変化させる無限旋律と呼ばれる技法を確立しています。
徐々に変化をするということは、まさに感情の変化そのものであり、無限旋律の技法はこの作品の内容をより深いものにする結果となりました。
この特徴を生かすため、ワーグナーは原作の枝葉末節を切り取り、「愛と死」にテーマを徹底的に収斂していきます。そのため作品は極めて劇的展開や登場人物が少なく、代わりに内面的な思索を徹底的に盛り込んだ革新的なもので、このような作品は他に類を見ません。そのためライトモチーフも「ローエングリン」以上に内面的かつ抽象的なものを表現するものとして使用されます。
また親友リストからの影響も大きかったとは思いますが、半音階と不協和音を多用することにより、遂げられざる愛の無限の憧憬と、愛の法悦と官能を表現することに成功しています。
この技法は、後の時代に誕生し現在まで続く無調音楽の先駆というべきもので、そういった意味でも革新的なものでした。しかしワーグナー自身は無調音楽を意図したのではなく、表現の手段として結果としてこの技法を使ったわけで、あくまで従来の和声の延長線上にもとづいた作曲をしています。
この作品をワーグナーの最高傑作にあげる人も少なくなく、特に第二幕の愛の二重唱以降、第三幕のトリスタンの独白にいたるまでの世界は深遠としか言いようのない、異次元の音楽です。